三郎川魚道が教えてくれた

三郎川魚道が教えてくれた

            NPO法人えんの森理事 中川大介

 

 忘れがたい光景がある。

 2008年の10月。浜中町の三郎川に、酪農家をはじめ住民の皆さんと魚道を完成させ、帰途に就こうとしていた夕刻のこと。暮れなずむ秋空に「クー、クー」と鳴き声が響いた。見上げれば、頭上を2羽のタンチョウが低く飛んで行く。羽音を残した純白の羽が、夕映えの朱いろにわずかに染まっていたように思う。

 自然のめぐりのなかに、人の「環」(わ)のなかに自分がいる気がした。心豊かな瞬間だった。

 あれから、幾度も三郎川に行った。そして、時に維持管理の作業に加わりながら、川という「公物」に、管理者でもない住民が魚道をつくるということの意味を考え続けた。魚道を設計した札幌の河川コンサルタント岩瀬晴夫さんが、たくさんの手がかりをくれた。人は「水」や自然とどのようにかかわってきたのか。自然を制御する近代の技術は、人と自然に何をもたらしたか。いまこの時代に、地域の人びとが力を合わせて自然と向き合うことの意味とは―。

 魚道をつくって3年後、故郷・三陸地方を大津波が襲った。惨憺たる姿になった故郷を目の当たりにして、私は自然の力のあまりの大きさを知った。人に多くの恵みをもたらしながら、時に牙をむく。その自然といかに向き合うべきか、考えずにはいられなかった。

 それらの経験から生まれたのが本書である。

 三郎川が教えてくれたものは多かった。それをうまく伝えることができたか、自信がない。だが、本書に収めた岩瀬さんや中村太士さん(北大教授)の言葉は、人と自然、そして技術というものの本質に迫り、多くの方々に受け止めてもらえると思う。

 三郎川手づくり魚道は岐路にある。えんの森が事務局をつとめる魚道設置委員会が維持管理を担っているが、現場作業の担い手が減り、設備も古びつつある。本書で書いた美幌町の手づくり魚道のように恒久的な魚道に置き換えるのか、他に機能を維持する手段を見つけるか、あるいは撤去するか、先行きを見定めなくてはならない。三郎川をめぐる物語は、まだ終わらない。作り手の一人として、その責任を引き受けていかねばと思っている。

 

 えんの森のメンバーをはじめ、浜中の酪農家や行政、住民の皆さんとの出会いなくして、この本は生まれなかった。全国に配本される本の読者が、手づくり魚道という試みをどのように受け止めるか、想像もつかない。もしかすると、三郎川で新たな物語のページが始まるかも―と、いささか不安混じりに期待している。

(2023年12月発行 えんの森通信第14号から)